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2011年08月17日

被災地に行って参りました。原発20kmの町福島県広野町

報道では、いろいろな記事を見ていていますが、

やはり来てみると、そこにいる者にしか感じ得ない様々な思いを抱きます。


●放射能の対策をどこまでするのか?

●地元の人にどんな声をかけるのか?

●飲み物、食べ物は口にすべきか?

●雨が降り出したら、どうするか?

●放射能に被曝してしまったら、どうするか?

といった不安を感じざるを得ません。

近くで立ち寄った港は、異様な静けさの中、復旧を目指しており、

海岸から500メートルほど内陸に入った魚の直売所でも、

1メートルほどの津波が襲ってきたそうです。



地震と津波と、放射能という想像を絶する災害がありながらも、

元気に暮らしている人がいます。

皆さん、不安な中にも一生懸命生きている様子が伝わってくるのが

同じ日本人としてとても誇りを感じました。



放射能対する意識も、生活全般に影響しています。





いよいよ高速道路も通行止めになり、最後の出口である「広野」から通行止めのエリアまで前進していきます。



料金所の方はマスクなどしておらず、少し安心し原発方面へ向かいます。

車はほとんど走っておらず、ほぼゴーストタウンとなった異様な町の風景が広がります。

スーパーもコンビにも閉店しており、ほとんど人がいない状況です。










立ち入り禁止ばかりでしたが、ある住宅地に入ると

片づけを行っている家族が一組いただけで、

誰もいなくなっている町並みが静かに広がっているだけです。









外部から見ると「がんばれ!」と応援したく気持ちでいっぱいでしたが、

ここにくると感じることは「希望のない絶望」を感じざるを得ません。


どこか新天地で幸せに新生活を送ってほしいと願うしかありません。


私たち日本人は、今回の3.11で引き返せないある一線を超え、

明治維新、第二次大戦、に次ぐ時代の変革期に来ているのだと感じます。


放射能が人間に及ぼす影響は、

計り知れない暗さと絶望を感じさせるものでした。

この現実を受け止め、

今こそ、日本人が立ち上がる時だと改めて感じました。

目を背けることなく、事実をきちんと受け止めることが大切です。


福島県広野町のスローガンは「東北に春を告げるまち」・・・

いつの日か、復興した町に改めて訪問したいと思います。

私たちは、涙が出るほど、悲しい現実をきちんと受け止めなくてはいけません。




●福島県広野町

http://www.town.hirono.fukushima.jp/