(株)ドリームマーケティング
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2017年12月12日
究極のクリエイティブな書斎研究「夢のヒアシンスハウス」
東京都心から往復70kmをロードバイクでトレーニングがてら、
前から行きたかったヒアシンスハウスに究極のクリエイティブな書斎研究に視察に参りました。
ヒアシンスハウスとは、ホームページに詳しく掲載されていたので、
ご紹介させていただきます。
昭和のはじめ20歳を過ぎたばかりの一人の若者がいました。
すでに詩人として有名だった立原道造さんです。
大学を卒業して就職した建築設計事務所で、
生涯の恋人と出会いました。
彼には実現したいと思っていた個人的な建築プランがありました。
それは、当時、芸術家達が集まって住んでいた別所沼の湖畔に
休暇のための小さな住居を建てることでした。
埼玉県の浦和周辺には当時から多くのアーティストが住んでいたそうです。
別荘というには、
あまりに小さな間取りに、恋人を呆れさせるほどでした。
しかし、彼がこの建物を建てることはありませんでした。
その翌年に彼は病に倒れ、恋人に看取られて亡くなりました。
24歳でした。
後には、幾枚かのスケッチやプランと、彼の名刺が残されました。
裏面の住所には、こう記してあります。
『埼玉縣浦和市外六辻村別所ヒアシンスハウス』
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その夢も実現することなく、
66年の時が過ぎた2003年、別所沼公園が、さいたま市の政令指定都市移行に伴い、埼玉県からさいたま市に移管された。
これを機に、別所沼周辺の芸術家たちの交友の証として、立原がかつて夢みた《ヒアシンスハウス》は、「詩人の夢の継承事業」として建設の機運が高まり、2004年、多くの市民たちや企業、行政の協調のもと、ここに実現することとなったのがヒアシンスハウスなのです。
現地を訪問してみると、
さいたま市民憩いの別所沼公園の中にヒアシンスハウスが、堂々と佇んでいました。
わずか5坪ほどの小屋ですが、
中に入ると驚くほど機能的で決して狭さは感じず、
逆に広く感じるほど居心地が良い間取りです。
ベッドからは小さな小窓で湖畔の景色を楽しみ、
窓は住まいの角も含めて開放でき、
とても明るくなると共に雨戸も設置されており、
夜や不在時も考慮された完成度を誇る作りだと分かります。
立原道造さんは日本橋を拠点に週末だけこの別荘に篭り、
小屋という小宇宙での創作活動をしたかったと伝わってきます。
私も理想的なクリエイティブな仕事術を研究し、
世界中の書斎や仕事場を視察しており、可能な限りそのノウハウを実践しています。
1ヶ月のうち、3週間は世界&日本中のホテルに宿泊しているため、
今の所、最高のクリエイティブな空間はホテルのデスクになりますが、
ミニマムなホテルの一室もヒアリシンスハウスのような部屋と考えれば、
可能性は無限大だと感じます。
今後も理想の書斎やクリエイティブな仕事術を本ブログでご紹介して参ります。
立原道造さんの夢のヒアシンスハウスについて語った印象的な言葉をお送りいたします。
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僕は室内にゐて、栗の木でつくつた凭れの高い椅子に座つてうつらうつらと睡つてゐる。
タぐれが来るまで、夜が来るまで、一日、なにもしないで。
僕は、窓が欲しい。たつたひとつ。……
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Posted by 脇田勝利 at 22:26│Comments(0)
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