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2018年04月02日
大谷翔平の二刀流デビューに見るアメリカの真剣勝負
米大リーグ、エンゼルスの大谷翔平投手が4月1日(日本時間2日)、当地で行われたアスレチックス戦に先発登板して投手デビューし、6回3安打、3失点でメジャー初白星を挙げました。
球団によると、開幕戦で野手として先発し、最初の10試合以内に投手として先発登板するのは、1919年のベーブ・ルース以来99年ぶりとのことです。
私もアメリカに拠点を移し1年ほど経過をしていますが、
アメリカのビジネスは一言でいうと大リーグに近いです。
つまり、世界中から集まったトップレベルの人材が、
「完全な真剣勝負」を繰り広げているのです。
江夏豊氏が日経新聞で「私の履歴書」の中で、
大リーグにチャレンジした時の話をご紹介させていただきます。
この記事を読んで、アメリカのビジネスはこの通り!と納得を致しました。
フレンドリーで肩に力が入っていないけど、真剣勝負。
世界中から夢を実現するためにチャレンジャーが集まり、
誰もが応援をしながらしのぎを削っているのがアメリカです。
更に世界ブランドの中心アメリカを拠点に、
日本人が世界にチャレンジするご支援を進めて参ります。
常にど真ん中の160kmの直球で勝負出来る人生を歩みます。
(下記、日経新聞より引用)江夏豊氏 日経新聞「私の履歴書」
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江夏豊(29)大リーグ挑戦 開幕直前まで枠争う 真剣勝負で引導、相手に敬意
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1984(昭和59)年限りで、18年の現役生活に別れを告げた。登板829試合、206勝158敗193セーブが生涯記録だ。
夢は破れたが悔いはなかった=ベースボール・マガジン社提供
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夢は破れたが悔いはなかった=ベースボール・マガジン社提供
引退試合は85年1月、スポーツ誌「ナンバー」と、懇意にしていたライターの永谷脩さんらの協力で、東京・多摩市の一本杉公園野球場で行われた。福本豊や落合博満ら仲間が集まり、小さな球場に1万6千人のファンが来てくれた。手作りの、いい引退試合だった。
悔いはなかったが、西武で完全燃焼したわけではなかった。そこに永谷さんが大リーグ挑戦の話を持ってきた。ブルワーズがキャンプに招待する。つまり、メジャー挑戦の切符をくれるというのだ。
2月、米アリゾナの抜けるような青空の下で、生き残りをかけた戦いが始まった。メジャーからマイナー選手、総勢30人くらいの投手が集まった。そこから最終メンバー11人に絞り込まれるのだ。試合をやるたびに、ロッカーがお通夜みたいに沈んだ。打たれた投手がカットされていく。
海の向こうは見る物、聞く物すべてが新しかった。監督、コーチは日本のように選手を怒鳴ったりせず、練習でも細かいことは言わなかった。
投手と内野陣の連携プレーの練習のなかで、無死満塁でのけん制があった。すると、サイ・ヤング賞にも輝いたローリー・フィンガースがすたすたとマウンドを降りていく。そして言うことには「俺はけん制の練習なんかしない。全部三振を取るから」。格好いいなあと思った。これが日本なら「造反」といわれて大問題になる。ところ変われば野球も変わるものだ。
メジャーを目指す打者たちのスイングはすごかった。3Aクラスの打者でもパワーはメジャー級だ。18年のプロ生活で身につけたテクニックと駆け引きで、切っ先をかわし、開幕直前まで生き残った。最後は左腕用の1枠を2人で争うことになった。
相手はテッド・ヒゲラ。36歳の自分より9歳若く、球も速かった。最終的に球団はヒゲラをとった。ゼネラルマネジャーに呼ばれて行くと「お疲れさん。もう君のチャレンジは終わった」。マイナーから挑戦するならそれもよし、指導者として勉強するなら支援するといってくれたが、自分はワンチャンスに賭けてきたのだ、といって断った。
踏ん切りをつけてくれたのはレジー・ジャクソンに打たれた中前安打だった。最後の登板となったエンゼルス戦で、レジーと対戦した。通算563本塁打、ワールドシリーズに強く「ミスター・オクトーバー」と呼ばれた大打者で、日本でいえば王貞治さんみたいな存在だ。
左打席に立ったレジーは本塁打狙いでくるのかと思ったら、ミートに徹し左中間寄りにはじき返した。
向こうのマスコミの取材で「対戦してみたい打者」と話していたのを、彼は知っていたのだろう。遊びでなく、こいつは本気でアメリカまで夢を追いかけてきた。その夢を砕くなら、俺のバットで砕いてやろうというスイングだった。完全な真剣勝負で、引導を渡してくれた。
小憎らしいことに、レジーはそのバットを差し出し「おまえの夢はこれで吹っ飛んだんだ。持って帰れよ」。一度も会ったことがなかった男が、一番気持ちをわかってくれていた。そのバットは今も、自宅に飾ってある。
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球団によると、開幕戦で野手として先発し、最初の10試合以内に投手として先発登板するのは、1919年のベーブ・ルース以来99年ぶりとのことです。
私もアメリカに拠点を移し1年ほど経過をしていますが、
アメリカのビジネスは一言でいうと大リーグに近いです。
つまり、世界中から集まったトップレベルの人材が、
「完全な真剣勝負」を繰り広げているのです。
江夏豊氏が日経新聞で「私の履歴書」の中で、
大リーグにチャレンジした時の話をご紹介させていただきます。
この記事を読んで、アメリカのビジネスはこの通り!と納得を致しました。
フレンドリーで肩に力が入っていないけど、真剣勝負。
世界中から夢を実現するためにチャレンジャーが集まり、
誰もが応援をしながらしのぎを削っているのがアメリカです。
更に世界ブランドの中心アメリカを拠点に、
日本人が世界にチャレンジするご支援を進めて参ります。
常にど真ん中の160kmの直球で勝負出来る人生を歩みます。
(下記、日経新聞より引用)江夏豊氏 日経新聞「私の履歴書」
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江夏豊(29)大リーグ挑戦 開幕直前まで枠争う 真剣勝負で引導、相手に敬意
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1984(昭和59)年限りで、18年の現役生活に別れを告げた。登板829試合、206勝158敗193セーブが生涯記録だ。
夢は破れたが悔いはなかった=ベースボール・マガジン社提供
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夢は破れたが悔いはなかった=ベースボール・マガジン社提供
引退試合は85年1月、スポーツ誌「ナンバー」と、懇意にしていたライターの永谷脩さんらの協力で、東京・多摩市の一本杉公園野球場で行われた。福本豊や落合博満ら仲間が集まり、小さな球場に1万6千人のファンが来てくれた。手作りの、いい引退試合だった。
悔いはなかったが、西武で完全燃焼したわけではなかった。そこに永谷さんが大リーグ挑戦の話を持ってきた。ブルワーズがキャンプに招待する。つまり、メジャー挑戦の切符をくれるというのだ。
2月、米アリゾナの抜けるような青空の下で、生き残りをかけた戦いが始まった。メジャーからマイナー選手、総勢30人くらいの投手が集まった。そこから最終メンバー11人に絞り込まれるのだ。試合をやるたびに、ロッカーがお通夜みたいに沈んだ。打たれた投手がカットされていく。
海の向こうは見る物、聞く物すべてが新しかった。監督、コーチは日本のように選手を怒鳴ったりせず、練習でも細かいことは言わなかった。
投手と内野陣の連携プレーの練習のなかで、無死満塁でのけん制があった。すると、サイ・ヤング賞にも輝いたローリー・フィンガースがすたすたとマウンドを降りていく。そして言うことには「俺はけん制の練習なんかしない。全部三振を取るから」。格好いいなあと思った。これが日本なら「造反」といわれて大問題になる。ところ変われば野球も変わるものだ。
メジャーを目指す打者たちのスイングはすごかった。3Aクラスの打者でもパワーはメジャー級だ。18年のプロ生活で身につけたテクニックと駆け引きで、切っ先をかわし、開幕直前まで生き残った。最後は左腕用の1枠を2人で争うことになった。
相手はテッド・ヒゲラ。36歳の自分より9歳若く、球も速かった。最終的に球団はヒゲラをとった。ゼネラルマネジャーに呼ばれて行くと「お疲れさん。もう君のチャレンジは終わった」。マイナーから挑戦するならそれもよし、指導者として勉強するなら支援するといってくれたが、自分はワンチャンスに賭けてきたのだ、といって断った。
踏ん切りをつけてくれたのはレジー・ジャクソンに打たれた中前安打だった。最後の登板となったエンゼルス戦で、レジーと対戦した。通算563本塁打、ワールドシリーズに強く「ミスター・オクトーバー」と呼ばれた大打者で、日本でいえば王貞治さんみたいな存在だ。
左打席に立ったレジーは本塁打狙いでくるのかと思ったら、ミートに徹し左中間寄りにはじき返した。
向こうのマスコミの取材で「対戦してみたい打者」と話していたのを、彼は知っていたのだろう。遊びでなく、こいつは本気でアメリカまで夢を追いかけてきた。その夢を砕くなら、俺のバットで砕いてやろうというスイングだった。完全な真剣勝負で、引導を渡してくれた。
小憎らしいことに、レジーはそのバットを差し出し「おまえの夢はこれで吹っ飛んだんだ。持って帰れよ」。一度も会ったことがなかった男が、一番気持ちをわかってくれていた。そのバットは今も、自宅に飾ってある。
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Posted by 脇田勝利 at 23:53│Comments(0)
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