
(株)ドリームマーケティング
http://www.dream-marketing.jp/
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2019年07月08日
ロードバイクのロングライド、ブルベ200km無事に完走出来ました。
7月6日(土)に開催されたロードバイクのロングライドイベント、ブルベ200kmにエントリーし、
8回目のブルベ完走を達成しました。
ブルベとは、ノーサポート・自己責任の長距離サイクリングイベントで、タイムや順位には拘らず、制限時間内での完走を認定するものです。
ブルベの発祥はツールドフランスも開催されている遊びの天才の国フランスなだけあって、
ブルベの最高峰とも言えるパリ・ブレスト・パリ (仏: Paris-Brest-Paris, 以下 PBP) では、
フランスのパリからブレストまで往復する1,200キロのサイクリングイベントで、1891年に最初に開催され、現在でも継続されている世界最古の自転車イベントとなっており、
世界中のサイクリストの憧れの目標になっています。
4年毎に開催されるPBPに出場するためには参加資格を得る必要があり、
参加資格は直前までに各国、国内で「シューペル・ランドヌール」の称号を受けていることが必要で、
具体的には、200キロ、300キロ、400キロ、600キロのブルベシリーズを同一年に完走することが必要になっています。
いつの日か、PBPにも出場してみたいと思っています。



今回のブルベも久々に体力の限界にチャレンジする追い込みブルベになりました。
今年の1月に走ったブルベは自己ベストの10時30分で200kmを完走出来ましたが、
今回のブルベは、暑さと高低差が半端なかったので完走を目標に走りました。
天気予報では当日ずっと雨の予報だったですが、
晴れ男なのか、当日は快晴で最高気温32度。
結果として手元のガーミンの温度計はアスファルトの照り返しもあり40度!まで上昇し、
逃げ場のない路上で昇天する200kmの旅となりました。
福岡県の小倉駅を出発し大分県の九重山の麓まで走り往復する200kmのコースです。
しかも今回のコースは獲得標高2776mで、富士山の7合目まで登る高度と同じ高低差となり、
特に前半は最も暑い時間帯に登山の連続でとにかく足がツラないように自分の体と会話をしながら走りました。
途中、激坂が何度もあり、多くのライダーが歩きながらの登山(笑)をしたり、
足がつって悶絶したり、リタイヤした方も多い過酷なコースであることが改めて感じながらの走行です。


自転車は下りに入ると天国なのですが、
今回は前半は登りが多く、下りながら時間を計算するとチェックポイントの制限時間がギリギリになることが判明し、
下ってからも時速30kmほどで飛ばして何とかチェックポイントの制限時間1分前!に間に合うことができ冷や汗をかきました。
ブルベはどんな状況でも平均時速が15kmと決まっているので、
上り坂が入ると時間の管理が非常に難しくなります。
最後のゴールへ向けて45km残っていて時速15kmで走って3時間近くの余裕があったので、
のんびりウィニングランを楽しもうと思っていたところ、
ゴールまでずっと向かい風(汗)
ゴールしたのは制限時間の10分前のトータル13時間20分経過した結構なギリギリの時間に無事にゴールをすることが出来ました。
結局、スタートしてからゴールまで200km、全くサボることなく(笑)
朝8時から夜9時半前まで全力で走り体力が更にアップしたことを感じるブルベとなりました。
106km地点の標高666mの切株山の山頂からの景色は最高でした!


今回は、9月と11月にベルリンマラソンとNYマラソンにエントリーをしているため、
ランのトレーニングばかりしていたため、
ロードバイクは、ほぼぶつけ本番な感じでのエントリーになりましたが、
真夏&高高度の中で完走出来たことは自分にとって更にパフォーマンスを上げる経験になりました。
走った後は体重が1日で3kg減って、消費カロリー8,000kcalという運動量でした。
この1ヶ月で糖質制限とトレーニングで体重が8kg減って、いい感じで追い込むことが出来ています。
更に9月までにあと10kgは絞りたいと思っています。
今回のブルベの備忘録を記入して次に生かしていきたいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●心拍数は150〜160を常にキープし頑張らずに頑張りながら長距離を走り続ける
●暑さ対策がまだまだ必要。今回は氷マフラーと扇風機を持って行ったが不十分なので工夫する必要あり
●退屈対策でスピーカーも持っていったが全く使わず(笑)次はラジオか?
●水とスポーツドリンクが暖かくなり過ぎるので数時間持つ保冷ボトルを購入
●ガーミンの地図の設定がスタートした時に出来ておらず、スタート前のチェックを更に行う必要あり
●補給関係はウィダーのゼリーとオニギリが一番向いている。
●途中のモチベーションをいかに高くキープをするかを更に研究
●今回のブルベを9月ベルリンマラソン、11月NYマラソンに最大限生かす
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次のブルベのエントリーは下記の阿蘇ライドです。
夜9時スタートで夜通し走り、最高峰1000mで阿蘇から朝日が堪能できそうです。
●BRM824熊本200kmお茶と赤牛
https://sites.google.com/site/randonneurskumamoto/2019brm/brm824kumamoto200km
今回も設営&サポートをしていただいたスタッフの皆様、
一緒に走っていただいたブルベ仲間の皆様、
応援していただいた皆様、ありがとうございました。
更にパフォーマンスを上げて世界中を旅&冒険続けます。
8回目のブルベ完走を達成しました。
ブルベとは、ノーサポート・自己責任の長距離サイクリングイベントで、タイムや順位には拘らず、制限時間内での完走を認定するものです。
ブルベの発祥はツールドフランスも開催されている遊びの天才の国フランスなだけあって、
ブルベの最高峰とも言えるパリ・ブレスト・パリ (仏: Paris-Brest-Paris, 以下 PBP) では、
フランスのパリからブレストまで往復する1,200キロのサイクリングイベントで、1891年に最初に開催され、現在でも継続されている世界最古の自転車イベントとなっており、
世界中のサイクリストの憧れの目標になっています。
4年毎に開催されるPBPに出場するためには参加資格を得る必要があり、
参加資格は直前までに各国、国内で「シューペル・ランドヌール」の称号を受けていることが必要で、
具体的には、200キロ、300キロ、400キロ、600キロのブルベシリーズを同一年に完走することが必要になっています。
いつの日か、PBPにも出場してみたいと思っています。



今回のブルベも久々に体力の限界にチャレンジする追い込みブルベになりました。
今年の1月に走ったブルベは自己ベストの10時30分で200kmを完走出来ましたが、
今回のブルベは、暑さと高低差が半端なかったので完走を目標に走りました。
天気予報では当日ずっと雨の予報だったですが、
晴れ男なのか、当日は快晴で最高気温32度。
結果として手元のガーミンの温度計はアスファルトの照り返しもあり40度!まで上昇し、
逃げ場のない路上で昇天する200kmの旅となりました。
福岡県の小倉駅を出発し大分県の九重山の麓まで走り往復する200kmのコースです。
しかも今回のコースは獲得標高2776mで、富士山の7合目まで登る高度と同じ高低差となり、
特に前半は最も暑い時間帯に登山の連続でとにかく足がツラないように自分の体と会話をしながら走りました。
途中、激坂が何度もあり、多くのライダーが歩きながらの登山(笑)をしたり、
足がつって悶絶したり、リタイヤした方も多い過酷なコースであることが改めて感じながらの走行です。


自転車は下りに入ると天国なのですが、
今回は前半は登りが多く、下りながら時間を計算するとチェックポイントの制限時間がギリギリになることが判明し、
下ってからも時速30kmほどで飛ばして何とかチェックポイントの制限時間1分前!に間に合うことができ冷や汗をかきました。
ブルベはどんな状況でも平均時速が15kmと決まっているので、
上り坂が入ると時間の管理が非常に難しくなります。
最後のゴールへ向けて45km残っていて時速15kmで走って3時間近くの余裕があったので、
のんびりウィニングランを楽しもうと思っていたところ、
ゴールまでずっと向かい風(汗)
ゴールしたのは制限時間の10分前のトータル13時間20分経過した結構なギリギリの時間に無事にゴールをすることが出来ました。
結局、スタートしてからゴールまで200km、全くサボることなく(笑)
朝8時から夜9時半前まで全力で走り体力が更にアップしたことを感じるブルベとなりました。
106km地点の標高666mの切株山の山頂からの景色は最高でした!


今回は、9月と11月にベルリンマラソンとNYマラソンにエントリーをしているため、
ランのトレーニングばかりしていたため、
ロードバイクは、ほぼぶつけ本番な感じでのエントリーになりましたが、
真夏&高高度の中で完走出来たことは自分にとって更にパフォーマンスを上げる経験になりました。
走った後は体重が1日で3kg減って、消費カロリー8,000kcalという運動量でした。
この1ヶ月で糖質制限とトレーニングで体重が8kg減って、いい感じで追い込むことが出来ています。
更に9月までにあと10kgは絞りたいと思っています。
今回のブルベの備忘録を記入して次に生かしていきたいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●心拍数は150〜160を常にキープし頑張らずに頑張りながら長距離を走り続ける
●暑さ対策がまだまだ必要。今回は氷マフラーと扇風機を持って行ったが不十分なので工夫する必要あり
●退屈対策でスピーカーも持っていったが全く使わず(笑)次はラジオか?
●水とスポーツドリンクが暖かくなり過ぎるので数時間持つ保冷ボトルを購入
●ガーミンの地図の設定がスタートした時に出来ておらず、スタート前のチェックを更に行う必要あり
●補給関係はウィダーのゼリーとオニギリが一番向いている。
●途中のモチベーションをいかに高くキープをするかを更に研究
●今回のブルベを9月ベルリンマラソン、11月NYマラソンに最大限生かす
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
次のブルベのエントリーは下記の阿蘇ライドです。
夜9時スタートで夜通し走り、最高峰1000mで阿蘇から朝日が堪能できそうです。
●BRM824熊本200kmお茶と赤牛
https://sites.google.com/site/randonneurskumamoto/2019brm/brm824kumamoto200km
今回も設営&サポートをしていただいたスタッフの皆様、
一緒に走っていただいたブルベ仲間の皆様、
応援していただいた皆様、ありがとうございました。
更にパフォーマンスを上げて世界中を旅&冒険続けます。
2019年06月04日
「そして滑落」無事に生還されたアウトドアショップ店主の生還記
福岡の実家の近くにあるアウトドアショップ『GRiPS』の店主の永松修さんが滑落事故にあった続きです。
先日のブログも合わせてご覧ください。
●行きつけのお店の店主が滑落事故
https://marketing.yoka-yoka.jp/e2070222.html
一命は取り留めたものの、重症で3ヶ月の長期入院。
55時間、水も飲むことが出来ずに、しかも奇跡的な生還をされて、
本当に良かったです。
永松修さんの1日でも早い回復を心から応援しております。

下記、店主からのブログの引用です。
今後、同じような事故に合う方を一人でも減らすために、シェアさせていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして滑落
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「チキン南蛮かー、やっぱり地鶏かなー」
なんて考えながらルンルンで下り始めた。
もちろん体がルンルンしてるわけではなく、心だけ。
登りのことも事もあるし慎重に慎重に。
だって時間はたっぷりあるのですから。
これだけ多くの時間を山で過ごしていれば、ヒヤリ・ハっとした瞬間なんてもちろんある。
こうなればこう、いつでもどんな時でも先を読み、どんな場面でも対応できるシュミレーションも抜かりない。
僕はそういう人間であり、妄想好きでもある。
「ひぇ~、ここ落ちたら死ぬな」、
「うぉー、ここ危ねーな」、
そんな時はキンっと体に緊張感が入り、頭も体も切り替わる。
自信も過信も無かったはず、でも一瞬の油断があったのかもしれない。
そう、想像もしないような場所で事故は起こった。
普通にテープのある(とは行っても道という道は無い)場所をトラバースしてた瞬間、その場所全てが崩落。
こんな経験だってある。
体勢を地面側にストックや木で止まる、逆でも同じくピッケルで止まる動作。
これまで相当山を歩いてきたし、たくさんの経験をしてきた。
でも出来なかった。
運動能力、反射神経の衰えなのであろうか。
壁側に体を向けた瞬間、後ろでんぐり返りの状態に。
そしてドンッドンッ10回転
ドスッ、バキッ、20回転くらいしただろうか。
回転しながらも、「ヤバい、打ちどころ悪かったら死ぬ!」
腕で頭と胸、腹部をガードした。
何度も岩や木に激突しながら30mほどしたの崖の木に引っ掛かった。
「あー、ついにやってしまった」
頭や顎から血がポタポタと落ちてくる。
息が止まりそうだ。
天を仰ぎ、呼吸を整える・・
「うぉー、なんじゃこりゃー!!」
右足が明後日の方向を向いている、しかもぷらんぷらんになっている
電話しよう。
無い、ポケットに入れてた携帯が無い。
とりあえず携帯を探しに行こう。
動かない、足が。
しかもここは崖だ。
操り人形のようになっている右足。
太腿から90度真横を向いてる足をまっすぐに。
「バキバキバキッ」、もの凄い音がした。
ザックからウルトラライトテーブルを取り出し、太腿に当ててニューハレのテーピングでグルグル巻きにしてみた。
登ろうとするが、全くダメだ。
プラプラの足が邪魔で仕方ない。
足1本ってこんなにも重いのか。
体は木に引っ掛かってるだけだから少しでも移動しないとどうしようもない。
ストックとプラダンをあわせて細引きで固定した。
プランプランだけは少しは収まった。
右腕も痛くてあまり動かせない、左手と左足のみ?
絶対に無理だ、この状態でこの崖を登るのは。
とりあえずどこかで横になりたい。
ほんの少しの横移動ならば。
そのほんの2~3mを命がけで移動した。
そして方片手片足で少しだけ這い上がり、このような場所で体を横たえた。
ここで15分ほど呼吸を整え、携帯を........
無理だ。
体がピクリとも動かない。
時間は午後2時を回った位であろうか、わからない。
「生きる準備をしよう」
この場所でとりあえず48時間生きのびる準備をはじめた。
僕は毎回どんな低山であろうと家族に登山計画書を伝えてある。
計画書といってもそんなに詳細なものではなく、登山口-コース-宿泊予定ポイントなど。
今回の下山予定は明日の夕方、それまでに連絡が無い場合は家族が心配し、通報。
そうなると捜索が開始されるのは早くても2日後から。
だからどんなに早く見つけられても今から48時間後なのだ。
もうこれ以上無駄な体力は消耗しないように準備を始める。
幸いザックがOMMだったため、DUOマットを取り出し敷く。
ラッキーだ、エアピローも持っている。
化繊ダウンを着る、ツユハラヒを巻き付ける。
ウエストポーチを腹巻代わりに。
丁度良いところにあった木で足の高さ調整をし、一番痛みの少ない位置を探る。
足をまっすぐに整える。
*後日談だが救命の先生にかなり褒められた。
先「整復術とか学んでたの?」
私「いえ、何となくこうした方が良いかなと」
先「超ファインプレー!、これしてなく、これだけ時間が経過してれば足元通りになってないね」
言い忘れてたが、今回携帯とザックのサイドポケットに挿してあった最後の水分が紛失している。
そう、水が1滴もない!
すぐそこにとてもキレイな沢がある。
でも一歩も動けない。
兎に角水が飲みたい。
食料は十分にあるが、ジェル系の物はすでに消化し、残りはバー系の固形物、後はお湯が必要なもの。
いつも言ってたように僕は少々食べなくても何ともない。
だが死なないためにもすこし補給食をかじってみる。
だめだ、、唾液がまったくでない、口の中がカラッカラで飲み込めない。
そろそろ1日目の夜がやってくる。。
最低気温はどれくらいまで下がるだろう。
たぶん12~3℃かな。
体力は消耗、出血に発熱。
十分に低体温症の危険性がある。
キルトを体に巻き付ける、最後にエマージェンシーシートでくるむ。
損傷の激しい右足だけは出して冷やす。
痛い、猛烈に痛い、右足はソフトシェルパンツがハチ切れそうなほど張れ上がっている。
夜がやってきた。
寒い、
寒い、
寒い、
背中も全て寒い。
かなり発熱してるっぽい。
吐き気がする、苦しい、
息が止まりそうだ・・・・
2日目
一睡もできないまま夜が明けた。
良かった、死ななかった。
太陽の光を浴びると、息苦しさや吐き気も少し収まってきた。
今日も救助は来ないと決めている。
奇跡が起きない限り。
キセキとは他に登山者がやってくるということ。
年間何人の方がこの山に来るだろう?
何十人だったら今日来る可能性は何%、平日だったら0.何%かーなんて勝手な計算なんかして・・
物音がする度、「人かっ」と思いホイッスルを鳴らしてみる。
また時折叫んでもみる、一応。
そうしてる間にも午後になっただろうか。
と、言うことは今日も発見されないこと100%決定。
さて、「2日目の夜を生き抜く準備をする」。
少しでも食べてみよう。
ガムを持っていた。
ガムを噛んで唾液をだした、そしてほんの少しバーをかじる。
やっぱり駄目だ。
食べれない、喉が乾きすぎて狂いそうだ。
寝床をバージョンアップだ。
昨夜は寒かったから今日は更にタープを引っ張り出す。
タープをコの状に。
上半身しか動かないからキレイには張れない。
万が一雨が降ればヤバいな。
キルトを頭と足と木にロープで固定。
更にハンモックも体に巻き付ける。
2日目の夜を生きぬく準備は整った。
後は水分だ、脱水で死んでしまわないか、不安だ。
あー、コーラ飲みたい。
時間が長すぎる。
色んな事を考えた。
足は元通りになるのか?
仕事の段取り。
今の状況でも当分はお店開けれないのも明白だ。
こんな時でも頭の中で色んな段取りをしている。
2日目の夜を迎えた。
下山報告が無いことで、家族達はようやく心配が始まっただろう。
ただ今夜中に捜索願が出ないことは想定済みだ。
何故なら自由気ままに生きてる僕は、頻繁に朝帰りなんかする。
下山後に温泉に泊まって、朝直接会社に行って、お店を開ける、みたいな。
携帯無くした?壊れた?、嫁は色んな想像もしてるだろう。
だから家族は明日の朝までは捜索願は出さない。全てその通りだった。
これが猛烈に反省すべき点。
「下山予定日の何時までに連絡がとれなかったら、躊躇なく○○に電話する」
これを徹底しておかなければならなかった。
そんな決まりを作っておけば、例え僕が携帯を無くそうとも、公衆電話からでもかけるし。
さて、時刻は深夜を回っただろうか。
昨日よりは寒くない。
発熱はしてるようだが呼吸も落ち着いている。
防寒対策はバッチリでほんの少しだけ眠れた・・・
3日目の朝が来た。
今日は帰れると確信している.....
何時位に発見されるか想像してみた。
今日はお店の開店日、嫁は開店時間ギリギリの12時くらいまで待つだろう。
この山域だと佐伯か、、
午後捜索願が出て、作戦を練り・・部隊が動き出して頂くまでにどれくらいの時間を要するのだろうか?
自分がいるポイントは茂みに隠れており、ヘリだとすぐには見つけれないだろうし、
地上部隊は作戦の時間、佐伯市内から登山口まで1.5時間、自分のポイントまで1.5時間…
!?ヤバいな。
もしかすると本日中の救助も無理な可能性が出てきた。
そうなると滑落から72時間オーバーか。
大丈夫かな。。
今日発見されなかったら、ここから沢まで転がるか?
リスク高すぎるな。
もう一回携帯探しに挑戦してみるか?
駄目だ、起き上がることすら出来ない。
待つしかない。
そろそろ午後かな、ヘリの音を探す、足音も待つ、神経はビンビンに研ぎ澄まされている。
その時!
「ひ、人の声が聞こえる!!」
すかさずホイッスルを鳴らし続ける。
見えた!
?捜索隊ではない、一般の登山者だ、ご年配の男性方二人。
向こうも私に気づき、状況を説明し、救助要請、時刻は11:30。
とりあえず水分を頂いた。
ポカリ2本、1L、死ぬほどウマイ。
ここは電波が入らないから登山口まで戻って頂くことに。
ここで本日中の生還は確定した。
まだ生きれる。
戴いたおにぎりをチビチビゆっくりかじりながらポカリを飲む。
早くても3時間以上だな。
この場所ならば救助に難航するだろうから、最悪日没ギリだな。
目を閉じる・・・・
いつの間にか眠っていた。
遠くでヘリの音が聞こえる。
自分の場所は見えないだろうな。
ライトの準備をする。
茂みの隙間から照度MAXで点滅させる。
その一瞬に気づいていただいたようだ。
僕の真上にヘリがきた。
もの凄い風圧で、視界がパッと開けた。
「私の居場所はここです」
確認の照射を続けた。
間違いなく伝わっている。
ヘリはいなくなり待つこと20分くらいだろうか、稜線側から隊員2名到着。
「ありがとうござます」
地上部隊を待つ。
その間に私のスマートフォンも見つかる。
数十分後、地上部隊到着。
作戦会議だ。
こんな場面で不謹慎かもしれないが、この救助隊の方達の仕事っぷりが気になって仕方ない。
大勢の方が命を張って、一つの命を救う。
とても過酷で危険だ。
このような状況を知ってもらうことで抑止力に繋がらないだろうか。
こんな状況の私が言うことではないが。
写真や動画を撮りたかった。
でも流石にやめた。
隊員さん達の言葉ひとつひとつ、とても優しい。
たまらなく優しい。
言動、行動、全てがプロフェッショナルだ。
作戦は決まったようだ。
稜線まで引き上げてヘリピック。
日没予定は19時15分。
このようなプラスチックの下敷きのようなものでグルグル巻きに固定され引き上げる。
しかし、ここは崖、横移動、縦移動のルートを決める。
「痛かったら言って下さいねー!」
「痛くても我慢するので大丈夫です!!」
とは言ったものの、叫び声は出てしまう。
死ぬほど痛い。。
18:30位だろうか、稜線に出た。
「それでは今からヘリで引っ張りますねー」
滑落から55時間
遂にヘリピックだ。
持ちあがる瞬間、隊員さんの最後の言葉
「怪我が治ったら、また佐伯の山に来てくださいね!」
ずっと冷静だった僕も涙が溢れ出てきた。
涙が止まらない。
今この文章を打ってるとまた涙が出てくる。
どんな感情なのか。
良かった、嬉しい、ありがとう、すみません、全部違う気がする。
何なんだろうこの感情は。
また来れる、また行きたい。
よく解らない。
どんどん涙が溢れてくる。
人の為に命をかけて、そしてそんな言葉。
心を打たれた。
そして僕は病院へと。
骨折、全身打撲、出血、脱水、全治3カ月の大けが。
一命は取り留めた。
そして手術後、ベッドに横たわったままこの記録を書いた。
『山岳事故』
体力不足、道迷い、準備不足。
防げるものが多くでしょう。
捜索費、人件費、その他もろもろ、多額の税金がかかっている。
『登山計画書の提出』
今回私の猛烈な反省点です。
もっと詳細に家族と決めごとを作っておくべきでした。
1年中毎週山へ行ってることで、慢心があったのは間違いないです。
登山届提出箱の無い山なんていくらでもあります。
その場合は警察や役所などありますが、そんなに面倒に考えなくて良いです。
自分の計画を家族や知人に伝えておくことです。
『山岳保険について』
私はもちろん入ってました。
ピッケル等使用の冬山対応の年間会員です。
『捜索費について』
今回駆けつけて頂いたのは
消防、警察、そして防災ヘリです。
よって捜索費は発生してません。
今回の私の起こした事故、これは防げたのであろうか?
とても身体能力の高い人ならばこんな事にならないのか?
いや自然相手に100%大丈夫なんてことはあり得ない。
そうなんです、このブログをみて頂いている全ての方に起こりうることなのです。
いつものあの山に行く時も、
その裏山へ行く時も、
いつも、
ずっと忘れずに、
この事故を思い出して頂くだけで、
事故が1件でも防げれば幸いです。
とても長くなりましたが、私の九死に一生を得た貴重な体験談でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●GRiPSブログより「そして滑落」
https://ameblo.jp/beecle/entry-12464710889.html
●アウトドアショップ【GRiPS -グリップス-】ホームページ
https://grips-outdoor.jp/
先日のブログも合わせてご覧ください。
●行きつけのお店の店主が滑落事故
https://marketing.yoka-yoka.jp/e2070222.html
一命は取り留めたものの、重症で3ヶ月の長期入院。
55時間、水も飲むことが出来ずに、しかも奇跡的な生還をされて、
本当に良かったです。
永松修さんの1日でも早い回復を心から応援しております。

下記、店主からのブログの引用です。
今後、同じような事故に合う方を一人でも減らすために、シェアさせていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そして滑落
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「チキン南蛮かー、やっぱり地鶏かなー」
なんて考えながらルンルンで下り始めた。
もちろん体がルンルンしてるわけではなく、心だけ。
登りのことも事もあるし慎重に慎重に。
だって時間はたっぷりあるのですから。
これだけ多くの時間を山で過ごしていれば、ヒヤリ・ハっとした瞬間なんてもちろんある。
こうなればこう、いつでもどんな時でも先を読み、どんな場面でも対応できるシュミレーションも抜かりない。
僕はそういう人間であり、妄想好きでもある。
「ひぇ~、ここ落ちたら死ぬな」、
「うぉー、ここ危ねーな」、
そんな時はキンっと体に緊張感が入り、頭も体も切り替わる。
自信も過信も無かったはず、でも一瞬の油断があったのかもしれない。
そう、想像もしないような場所で事故は起こった。
普通にテープのある(とは行っても道という道は無い)場所をトラバースしてた瞬間、その場所全てが崩落。
こんな経験だってある。
体勢を地面側にストックや木で止まる、逆でも同じくピッケルで止まる動作。
これまで相当山を歩いてきたし、たくさんの経験をしてきた。
でも出来なかった。
運動能力、反射神経の衰えなのであろうか。
壁側に体を向けた瞬間、後ろでんぐり返りの状態に。
そしてドンッドンッ10回転
ドスッ、バキッ、20回転くらいしただろうか。
回転しながらも、「ヤバい、打ちどころ悪かったら死ぬ!」
腕で頭と胸、腹部をガードした。
何度も岩や木に激突しながら30mほどしたの崖の木に引っ掛かった。
「あー、ついにやってしまった」
頭や顎から血がポタポタと落ちてくる。
息が止まりそうだ。
天を仰ぎ、呼吸を整える・・
「うぉー、なんじゃこりゃー!!」
右足が明後日の方向を向いている、しかもぷらんぷらんになっている
電話しよう。
無い、ポケットに入れてた携帯が無い。
とりあえず携帯を探しに行こう。
動かない、足が。
しかもここは崖だ。
操り人形のようになっている右足。
太腿から90度真横を向いてる足をまっすぐに。
「バキバキバキッ」、もの凄い音がした。
ザックからウルトラライトテーブルを取り出し、太腿に当ててニューハレのテーピングでグルグル巻きにしてみた。
登ろうとするが、全くダメだ。
プラプラの足が邪魔で仕方ない。
足1本ってこんなにも重いのか。
体は木に引っ掛かってるだけだから少しでも移動しないとどうしようもない。
ストックとプラダンをあわせて細引きで固定した。
プランプランだけは少しは収まった。
右腕も痛くてあまり動かせない、左手と左足のみ?
絶対に無理だ、この状態でこの崖を登るのは。
とりあえずどこかで横になりたい。
ほんの少しの横移動ならば。
そのほんの2~3mを命がけで移動した。
そして方片手片足で少しだけ這い上がり、このような場所で体を横たえた。
ここで15分ほど呼吸を整え、携帯を........
無理だ。
体がピクリとも動かない。
時間は午後2時を回った位であろうか、わからない。
「生きる準備をしよう」
この場所でとりあえず48時間生きのびる準備をはじめた。
僕は毎回どんな低山であろうと家族に登山計画書を伝えてある。
計画書といってもそんなに詳細なものではなく、登山口-コース-宿泊予定ポイントなど。
今回の下山予定は明日の夕方、それまでに連絡が無い場合は家族が心配し、通報。
そうなると捜索が開始されるのは早くても2日後から。
だからどんなに早く見つけられても今から48時間後なのだ。
もうこれ以上無駄な体力は消耗しないように準備を始める。
幸いザックがOMMだったため、DUOマットを取り出し敷く。
ラッキーだ、エアピローも持っている。
化繊ダウンを着る、ツユハラヒを巻き付ける。
ウエストポーチを腹巻代わりに。
丁度良いところにあった木で足の高さ調整をし、一番痛みの少ない位置を探る。
足をまっすぐに整える。
*後日談だが救命の先生にかなり褒められた。
先「整復術とか学んでたの?」
私「いえ、何となくこうした方が良いかなと」
先「超ファインプレー!、これしてなく、これだけ時間が経過してれば足元通りになってないね」
言い忘れてたが、今回携帯とザックのサイドポケットに挿してあった最後の水分が紛失している。
そう、水が1滴もない!
すぐそこにとてもキレイな沢がある。
でも一歩も動けない。
兎に角水が飲みたい。
食料は十分にあるが、ジェル系の物はすでに消化し、残りはバー系の固形物、後はお湯が必要なもの。
いつも言ってたように僕は少々食べなくても何ともない。
だが死なないためにもすこし補給食をかじってみる。
だめだ、、唾液がまったくでない、口の中がカラッカラで飲み込めない。
そろそろ1日目の夜がやってくる。。
最低気温はどれくらいまで下がるだろう。
たぶん12~3℃かな。
体力は消耗、出血に発熱。
十分に低体温症の危険性がある。
キルトを体に巻き付ける、最後にエマージェンシーシートでくるむ。
損傷の激しい右足だけは出して冷やす。
痛い、猛烈に痛い、右足はソフトシェルパンツがハチ切れそうなほど張れ上がっている。
夜がやってきた。
寒い、
寒い、
寒い、
背中も全て寒い。
かなり発熱してるっぽい。
吐き気がする、苦しい、
息が止まりそうだ・・・・
2日目
一睡もできないまま夜が明けた。
良かった、死ななかった。
太陽の光を浴びると、息苦しさや吐き気も少し収まってきた。
今日も救助は来ないと決めている。
奇跡が起きない限り。
キセキとは他に登山者がやってくるということ。
年間何人の方がこの山に来るだろう?
何十人だったら今日来る可能性は何%、平日だったら0.何%かーなんて勝手な計算なんかして・・
物音がする度、「人かっ」と思いホイッスルを鳴らしてみる。
また時折叫んでもみる、一応。
そうしてる間にも午後になっただろうか。
と、言うことは今日も発見されないこと100%決定。
さて、「2日目の夜を生き抜く準備をする」。
少しでも食べてみよう。
ガムを持っていた。
ガムを噛んで唾液をだした、そしてほんの少しバーをかじる。
やっぱり駄目だ。
食べれない、喉が乾きすぎて狂いそうだ。
寝床をバージョンアップだ。
昨夜は寒かったから今日は更にタープを引っ張り出す。
タープをコの状に。
上半身しか動かないからキレイには張れない。
万が一雨が降ればヤバいな。
キルトを頭と足と木にロープで固定。
更にハンモックも体に巻き付ける。
2日目の夜を生きぬく準備は整った。
後は水分だ、脱水で死んでしまわないか、不安だ。
あー、コーラ飲みたい。
時間が長すぎる。
色んな事を考えた。
足は元通りになるのか?
仕事の段取り。
今の状況でも当分はお店開けれないのも明白だ。
こんな時でも頭の中で色んな段取りをしている。
2日目の夜を迎えた。
下山報告が無いことで、家族達はようやく心配が始まっただろう。
ただ今夜中に捜索願が出ないことは想定済みだ。
何故なら自由気ままに生きてる僕は、頻繁に朝帰りなんかする。
下山後に温泉に泊まって、朝直接会社に行って、お店を開ける、みたいな。
携帯無くした?壊れた?、嫁は色んな想像もしてるだろう。
だから家族は明日の朝までは捜索願は出さない。全てその通りだった。
これが猛烈に反省すべき点。
「下山予定日の何時までに連絡がとれなかったら、躊躇なく○○に電話する」
これを徹底しておかなければならなかった。
そんな決まりを作っておけば、例え僕が携帯を無くそうとも、公衆電話からでもかけるし。
さて、時刻は深夜を回っただろうか。
昨日よりは寒くない。
発熱はしてるようだが呼吸も落ち着いている。
防寒対策はバッチリでほんの少しだけ眠れた・・・
3日目の朝が来た。
今日は帰れると確信している.....
何時位に発見されるか想像してみた。
今日はお店の開店日、嫁は開店時間ギリギリの12時くらいまで待つだろう。
この山域だと佐伯か、、
午後捜索願が出て、作戦を練り・・部隊が動き出して頂くまでにどれくらいの時間を要するのだろうか?
自分がいるポイントは茂みに隠れており、ヘリだとすぐには見つけれないだろうし、
地上部隊は作戦の時間、佐伯市内から登山口まで1.5時間、自分のポイントまで1.5時間…
!?ヤバいな。
もしかすると本日中の救助も無理な可能性が出てきた。
そうなると滑落から72時間オーバーか。
大丈夫かな。。
今日発見されなかったら、ここから沢まで転がるか?
リスク高すぎるな。
もう一回携帯探しに挑戦してみるか?
駄目だ、起き上がることすら出来ない。
待つしかない。
そろそろ午後かな、ヘリの音を探す、足音も待つ、神経はビンビンに研ぎ澄まされている。
その時!
「ひ、人の声が聞こえる!!」
すかさずホイッスルを鳴らし続ける。
見えた!
?捜索隊ではない、一般の登山者だ、ご年配の男性方二人。
向こうも私に気づき、状況を説明し、救助要請、時刻は11:30。
とりあえず水分を頂いた。
ポカリ2本、1L、死ぬほどウマイ。
ここは電波が入らないから登山口まで戻って頂くことに。
ここで本日中の生還は確定した。
まだ生きれる。
戴いたおにぎりをチビチビゆっくりかじりながらポカリを飲む。
早くても3時間以上だな。
この場所ならば救助に難航するだろうから、最悪日没ギリだな。
目を閉じる・・・・
いつの間にか眠っていた。
遠くでヘリの音が聞こえる。
自分の場所は見えないだろうな。
ライトの準備をする。
茂みの隙間から照度MAXで点滅させる。
その一瞬に気づいていただいたようだ。
僕の真上にヘリがきた。
もの凄い風圧で、視界がパッと開けた。
「私の居場所はここです」
確認の照射を続けた。
間違いなく伝わっている。
ヘリはいなくなり待つこと20分くらいだろうか、稜線側から隊員2名到着。
「ありがとうござます」
地上部隊を待つ。
その間に私のスマートフォンも見つかる。
数十分後、地上部隊到着。
作戦会議だ。
こんな場面で不謹慎かもしれないが、この救助隊の方達の仕事っぷりが気になって仕方ない。
大勢の方が命を張って、一つの命を救う。
とても過酷で危険だ。
このような状況を知ってもらうことで抑止力に繋がらないだろうか。
こんな状況の私が言うことではないが。
写真や動画を撮りたかった。
でも流石にやめた。
隊員さん達の言葉ひとつひとつ、とても優しい。
たまらなく優しい。
言動、行動、全てがプロフェッショナルだ。
作戦は決まったようだ。
稜線まで引き上げてヘリピック。
日没予定は19時15分。
このようなプラスチックの下敷きのようなものでグルグル巻きに固定され引き上げる。
しかし、ここは崖、横移動、縦移動のルートを決める。
「痛かったら言って下さいねー!」
「痛くても我慢するので大丈夫です!!」
とは言ったものの、叫び声は出てしまう。
死ぬほど痛い。。
18:30位だろうか、稜線に出た。
「それでは今からヘリで引っ張りますねー」
滑落から55時間
遂にヘリピックだ。
持ちあがる瞬間、隊員さんの最後の言葉
「怪我が治ったら、また佐伯の山に来てくださいね!」
ずっと冷静だった僕も涙が溢れ出てきた。
涙が止まらない。
今この文章を打ってるとまた涙が出てくる。
どんな感情なのか。
良かった、嬉しい、ありがとう、すみません、全部違う気がする。
何なんだろうこの感情は。
また来れる、また行きたい。
よく解らない。
どんどん涙が溢れてくる。
人の為に命をかけて、そしてそんな言葉。
心を打たれた。
そして僕は病院へと。
骨折、全身打撲、出血、脱水、全治3カ月の大けが。
一命は取り留めた。
そして手術後、ベッドに横たわったままこの記録を書いた。
『山岳事故』
体力不足、道迷い、準備不足。
防げるものが多くでしょう。
捜索費、人件費、その他もろもろ、多額の税金がかかっている。
『登山計画書の提出』
今回私の猛烈な反省点です。
もっと詳細に家族と決めごとを作っておくべきでした。
1年中毎週山へ行ってることで、慢心があったのは間違いないです。
登山届提出箱の無い山なんていくらでもあります。
その場合は警察や役所などありますが、そんなに面倒に考えなくて良いです。
自分の計画を家族や知人に伝えておくことです。
『山岳保険について』
私はもちろん入ってました。
ピッケル等使用の冬山対応の年間会員です。
『捜索費について』
今回駆けつけて頂いたのは
消防、警察、そして防災ヘリです。
よって捜索費は発生してません。
今回の私の起こした事故、これは防げたのであろうか?
とても身体能力の高い人ならばこんな事にならないのか?
いや自然相手に100%大丈夫なんてことはあり得ない。
そうなんです、このブログをみて頂いている全ての方に起こりうることなのです。
いつものあの山に行く時も、
その裏山へ行く時も、
いつも、
ずっと忘れずに、
この事故を思い出して頂くだけで、
事故が1件でも防げれば幸いです。
とても長くなりましたが、私の九死に一生を得た貴重な体験談でした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●GRiPSブログより「そして滑落」
https://ameblo.jp/beecle/entry-12464710889.html
●アウトドアショップ【GRiPS -グリップス-】ホームページ
https://grips-outdoor.jp/
2019年04月01日
ついにエベレストの登頂に成功し世界196カ国全ての国に滞在
私の夢は「世界中の夢を叶えるお手伝い」です。
そのためには死ぬまでに世界中全ての国に滞在することが目標でした。
本日、日本政府が承認した国家数196カ国全ての国に訪問することが出来ました。
冒険家として、仕事と両輪で世界中を旅してきました。
川に入った2人に1人は寝込むというインドのガンジス川で4泳法で泳いだり、
ジャマイカのレゲエパーティで拳銃で脅されたり、
世界の聖地ジョンミューアトレイルでトレッキングを楽しんだり、
シリコンバレーで仕事をしながら国立公園でキャンプをしたり、
ロードバイクで世界一周をしたり、
キャンピングカーで寝泊りし、
ついに196カ国目のネパール、世界最高峰のエベレストの登頂に成功し、
ついに世界196カ国全ての国に到達できたのです。

世界中から「脇田さんのおかげで売上が上がり収入も劇的に上がり人生が変って、夢が実現しました!」という感謝状や手紙が1万通届き、感激しています。
これからも更にその世界中の皆様の夢を実現するために、
皆様の売上を上げるお手伝いを進めながら、世界中の皆様と連携を進めて参ります。
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という訳で、毎年好例のエイプリルフールのブログでした(笑)
ただし、決して夢ではなく、
この夢に向けて、確実に前進している毎日です。
夢を明確にすると、1年間で確実に実現して夢に向かって前進出来ていることが分かります。
「未来から全てのものを描いてみる」と現実が後からそのように実現していくのです。
脳科学では、頭で考えたことが現実になるということが実証されています。
目の前に見えているものが現実ではなく、
それをどんな風に考えて認識をしたかが現実です。
つまり、自分の頭で考えたものが現実なのです。
まずは、エイプリルフールに自分の理想の夢を
「ハッタリ」でも良いので明確にしてみると、
その「ハッタリ」が現実になります。
未来を創るのは、自分次第です。
そのためには死ぬまでに世界中全ての国に滞在することが目標でした。
本日、日本政府が承認した国家数196カ国全ての国に訪問することが出来ました。
冒険家として、仕事と両輪で世界中を旅してきました。
川に入った2人に1人は寝込むというインドのガンジス川で4泳法で泳いだり、
ジャマイカのレゲエパーティで拳銃で脅されたり、
世界の聖地ジョンミューアトレイルでトレッキングを楽しんだり、
シリコンバレーで仕事をしながら国立公園でキャンプをしたり、
ロードバイクで世界一周をしたり、
キャンピングカーで寝泊りし、
ついに196カ国目のネパール、世界最高峰のエベレストの登頂に成功し、
ついに世界196カ国全ての国に到達できたのです。

世界中から「脇田さんのおかげで売上が上がり収入も劇的に上がり人生が変って、夢が実現しました!」という感謝状や手紙が1万通届き、感激しています。
これからも更にその世界中の皆様の夢を実現するために、
皆様の売上を上げるお手伝いを進めながら、世界中の皆様と連携を進めて参ります。
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という訳で、毎年好例のエイプリルフールのブログでした(笑)
ただし、決して夢ではなく、
この夢に向けて、確実に前進している毎日です。
夢を明確にすると、1年間で確実に実現して夢に向かって前進出来ていることが分かります。
「未来から全てのものを描いてみる」と現実が後からそのように実現していくのです。
脳科学では、頭で考えたことが現実になるということが実証されています。
目の前に見えているものが現実ではなく、
それをどんな風に考えて認識をしたかが現実です。
つまり、自分の頭で考えたものが現実なのです。
まずは、エイプリルフールに自分の理想の夢を
「ハッタリ」でも良いので明確にしてみると、
その「ハッタリ」が現実になります。
未来を創るのは、自分次第です。
2018年02月02日
アメリカのキャンプが最高すぎて、かなりお勧めです。
アメリカに住んでほぼ1年が経ちました。
アメリカでお勧めなのがキャンプです。
アメリカに住んでキャンプを堪能していますし、
今までもシリコンバレーやLAなどでホテルを借りずに、
キャンプ場から仕事をしていたこともあります。(笑)
キャンプ場の多くが国立公園内にあり、まさに大自然を独り占め出来るのです。
アメリカは世界で最初に国立公園制度をつくった国で、1872年のイエローストーン国立公園創設から8年前にさかのぼる1864にはリンカーン大統領の署名によりヨセミテがカリフォルニアの州立公園に指定されています。
日本はまだ幕末の頃であり、またアメリカもまだ南北戦争の最中だった、そんな時代にすでにこの国の政府関係者が自然の保護について真剣に考えていたというのは驚くべきことです。
19世紀から20世紀初頭にかけ、カリフォルニアやアラスカの山野を歩き、生活し、大自然から多くのことを学びとった「アメリカ自然保護の父」ジョン・ミューアは、活動の基本的姿勢として、「自然の美しさ、すばらしさを多くの人々に知ってもらうこと。」を旨としていました。
「知らない人に自然保護を訴えてもわかってもらえない。」と考えたミューアは当時放置されていた森林の伐採、家畜の無制限な放牧などの危機的状況を新聞を通じて世に訴える一方で、多くの人たちを大自然の中へと誘い、自らが自然ガイドとなって自然の大切さを、「体験を通じて」知らしめたのです。
アメリカの国立公園の運営方針の原点はこの「体験を通じて」と言うところが原点です。
「立ち入り禁止」として遠ざけるのではなく、むしろ積極的にふれあって実体験してもらい、その大切さを実感し、利用者の「自然とのふれあい活動」に政府として積極的に関与していく方針がみられます。
その考えが根底にあるため、
アメリカのキャンプ場は正に「世界最高の自然を堪能出来る大人のリゾート」になっているのです。
日米の国立公園の違い日米の国立公園で大きく異なるのは、アメリカの国立公園はすべて連邦政府の所有する国有財産です。
日本の国立公園・国定公園は法律に基づいた地域指定であり、この中には国有林や公有地、民有地などが多くの面積を占めていて、土地利用の規制をかけているだけにすぎないのです。
ほとんどの国立公園が有料であるという点も日本とは異なっており、ゲートでレンジャーに入園料を支払うしくみになっている。これらの収入は国立公園の維持管理に充てられるのだ。さらに、両国の国立公園にかける国家予算(日:36億円、米:1900億円)公園管理を担当する公務員の数(日:110人、米:9,500人)などを比べてみても、アメリカの国立公園の充実ぶりには脱帽せざるを得ません。
日本の残念なキャンプ場とは違い(笑)
アメリカのキャンプ場が最高な点は下記があげられます。
【アメリカのキャンプが最高なところ】
●圧倒的な大自然を堪能出来る。
●周りにトレッキングやドライブコースが数多くあり何日も楽しめる。
●乾燥しているためお風呂に入らなくてもOK
●シャワーがついているキャンプ場も多くコインで利用出来る
●雨がほとんど降らないエリアも多く降っても限定的
●トイレが清潔で匂いがほとんどない
●車椅子の方の対応も出来ており誰でも利用しやすい
●インターネットで予約でき、ホテルのようにいつでもチェックインできる
●サイトの面積が広くプライベートが確保出来ている
●アメリカ人のアウトドアライフを観察でき面白い
●焚き火はどのサイトでもOK
●街中にも近く仕事をしながらキャンプも可能
●料金も手頃でどこでも20ドル代
●アウトドア大国なのでアウトドア用品が安く手に入る
●「先着順に受付」のキャンプ場も多く一度キープすればそのまま連泊可能
●料金や受付はポストに入れると完了するので効率的
●車で横付け出来るので荷物移動の手間がかからない
などなど、本当に書ききれないほど、アメリカのキャンプには魅力が十分にあります。
下記のサイトでアメリカ中のキャンプ場やアウトドアが予約できます。
かなりお勧めです。
https://www.recreation.gov/
ぜひ、一度アメリカのキャンプを堪能してみてくださいね。
今までのアメリカでのキャンプの写真をご紹介致します。
















アメリカでお勧めなのがキャンプです。
アメリカに住んでキャンプを堪能していますし、
今までもシリコンバレーやLAなどでホテルを借りずに、
キャンプ場から仕事をしていたこともあります。(笑)
キャンプ場の多くが国立公園内にあり、まさに大自然を独り占め出来るのです。
アメリカは世界で最初に国立公園制度をつくった国で、1872年のイエローストーン国立公園創設から8年前にさかのぼる1864にはリンカーン大統領の署名によりヨセミテがカリフォルニアの州立公園に指定されています。
日本はまだ幕末の頃であり、またアメリカもまだ南北戦争の最中だった、そんな時代にすでにこの国の政府関係者が自然の保護について真剣に考えていたというのは驚くべきことです。
19世紀から20世紀初頭にかけ、カリフォルニアやアラスカの山野を歩き、生活し、大自然から多くのことを学びとった「アメリカ自然保護の父」ジョン・ミューアは、活動の基本的姿勢として、「自然の美しさ、すばらしさを多くの人々に知ってもらうこと。」を旨としていました。
「知らない人に自然保護を訴えてもわかってもらえない。」と考えたミューアは当時放置されていた森林の伐採、家畜の無制限な放牧などの危機的状況を新聞を通じて世に訴える一方で、多くの人たちを大自然の中へと誘い、自らが自然ガイドとなって自然の大切さを、「体験を通じて」知らしめたのです。
アメリカの国立公園の運営方針の原点はこの「体験を通じて」と言うところが原点です。
「立ち入り禁止」として遠ざけるのではなく、むしろ積極的にふれあって実体験してもらい、その大切さを実感し、利用者の「自然とのふれあい活動」に政府として積極的に関与していく方針がみられます。
その考えが根底にあるため、
アメリカのキャンプ場は正に「世界最高の自然を堪能出来る大人のリゾート」になっているのです。
日米の国立公園の違い日米の国立公園で大きく異なるのは、アメリカの国立公園はすべて連邦政府の所有する国有財産です。
日本の国立公園・国定公園は法律に基づいた地域指定であり、この中には国有林や公有地、民有地などが多くの面積を占めていて、土地利用の規制をかけているだけにすぎないのです。
ほとんどの国立公園が有料であるという点も日本とは異なっており、ゲートでレンジャーに入園料を支払うしくみになっている。これらの収入は国立公園の維持管理に充てられるのだ。さらに、両国の国立公園にかける国家予算(日:36億円、米:1900億円)公園管理を担当する公務員の数(日:110人、米:9,500人)などを比べてみても、アメリカの国立公園の充実ぶりには脱帽せざるを得ません。
日本の残念なキャンプ場とは違い(笑)
アメリカのキャンプ場が最高な点は下記があげられます。
【アメリカのキャンプが最高なところ】
●圧倒的な大自然を堪能出来る。
●周りにトレッキングやドライブコースが数多くあり何日も楽しめる。
●乾燥しているためお風呂に入らなくてもOK
●シャワーがついているキャンプ場も多くコインで利用出来る
●雨がほとんど降らないエリアも多く降っても限定的
●トイレが清潔で匂いがほとんどない
●車椅子の方の対応も出来ており誰でも利用しやすい
●インターネットで予約でき、ホテルのようにいつでもチェックインできる
●サイトの面積が広くプライベートが確保出来ている
●アメリカ人のアウトドアライフを観察でき面白い
●焚き火はどのサイトでもOK
●街中にも近く仕事をしながらキャンプも可能
●料金も手頃でどこでも20ドル代
●アウトドア大国なのでアウトドア用品が安く手に入る
●「先着順に受付」のキャンプ場も多く一度キープすればそのまま連泊可能
●料金や受付はポストに入れると完了するので効率的
●車で横付け出来るので荷物移動の手間がかからない
などなど、本当に書ききれないほど、アメリカのキャンプには魅力が十分にあります。
下記のサイトでアメリカ中のキャンプ場やアウトドアが予約できます。
かなりお勧めです。
https://www.recreation.gov/
ぜひ、一度アメリカのキャンプを堪能してみてくださいね。
今までのアメリカでのキャンプの写真をご紹介致します。
















2015年10月01日
世界のトレイルの聖地ジョンミューアトレイルへVOL.2
ヨセミテのキャンプ場を拠点にトゥオルーミ・メドウから世界のトレイルの聖地ジョンミューアトレイルのトレッキングをスタートしました。
ジョンミューアトレイルは、バックカントリーと呼ばれる「手つかずの自然を残したエリア」になります。
車が走りまくっている日本の国立公園とは違い、バックカントリーでは、人間と馬以外は立ち入り禁止です。
しかも、日本の登山道と違い「人工物」がほとんどありません。
実際にジョンミューアトレイルを歩いてみて、日本の登山道との違いをかなり感じましたので、
ご紹介します。

●自然をそのまま残しているため、人工物を徹底的に排除している。
山小屋もなくトイレもなく、あるのは最低限の標識のみ。
●登山道が分かりにくく迷う可能性大
日本のような登山道あるわけではなく、自然の中を自分の判断で歩く判断が必要。
●GPSは必ず携帯した方が良い
何度も迷うほど、登山道が分かりにくくGPSは必ず携帯した方が良い
iPhoneのオフライン地図アプリでもOK
●乾燥が凄く喉がやたら乾く
日本はどの山に行っても湿度が高く喉はあまり乾きませんが、
アメリカ西海岸は乾燥が凄く日本の数倍の水が必要になる
●寒暖の差が激しすぎる
昼間は強烈な太陽の日差しで30度近くまで上がるが、
9月でも2〜3度まで最低気温が下がり温度調整と日差し対策は必須
●クマ対策
とにかくクマ対策が重要です。
食べ物や飲み物はもちろん化粧品や歯磨き粉などすべての匂いがするものは、
フードストレージと呼ばれるクマ対策の倉庫に入れておかないと、
車は壊されテントまで襲撃をされます。
車がクマから破壊されるとアメリカ政府から罰金5000ドルを請求されるという、
泣きっ面にクマ状態(笑)になるので、さらに注意が必要。

●バックカントリーに入る人数を制限
日帰りの場合は許可が要らないが、
バックカントリーでキャンプを行ったり釣りを行う際は、
パーミットと言われる許可を取る必要があり、
人数制限を行うことで自然を保護している
●登り方は多種多様
手ぶらで登っている人や上半身裸の人(笑)、
340kmを歩いている重装備のスルーハイカーなど多種多様のスタイルで楽しめる。
●キャンプする際は何もないと思った方が良い
国立公園公園内のキャンプ場には、最低限のトイレしかないのは当たり前で、
バックカントリーでは何もないため、すべてを自己責任で自分で準備するしかないサバイバル状態。
●高度差が実は凄い
トレイルは山頂を目指すことなく日本でいう縦走の感覚で登山を行うイメージだが、
実はジョンミューアトレイルの最高峰は、Mt.ホイットニー(4,418m)。
米国本土最高峰という山も登るため、高低差が激しい。
●大人が大自然を満喫できるアウトドア天国
日本のなんちゃって売店の雰囲気や子供っぽい雰囲気、残念な登山道のイメージは全くなく、
「大人が大自然を舞台に人生を楽しめる」アウトドア天国という印象です。
さすが、アウトドア天国であり先進国のアメリカです。
という形で日本でもかなりの調査を行ってジョンミューアトレイルに行きましたが、
現地に行かないとわからない情報ばかりでした。
ジョンミューアトレイルの写真の一部をご覧ください。
実際に現地に行ってみると、写真では全く収まらない圧倒的な迫力と魅力があります。








絶壁の岩をロッククライミングしている人も数多くいました。


私の夢に「ジョンミューアトレイル340kmをスルーハイクする」という項目を追加いたしました(笑)
人生一度限りです。
仕事も遊びも真剣に世界中で堪能したいものです。
ジョンミューアトレイルは、バックカントリーと呼ばれる「手つかずの自然を残したエリア」になります。
車が走りまくっている日本の国立公園とは違い、バックカントリーでは、人間と馬以外は立ち入り禁止です。
しかも、日本の登山道と違い「人工物」がほとんどありません。
実際にジョンミューアトレイルを歩いてみて、日本の登山道との違いをかなり感じましたので、
ご紹介します。

●自然をそのまま残しているため、人工物を徹底的に排除している。
山小屋もなくトイレもなく、あるのは最低限の標識のみ。
●登山道が分かりにくく迷う可能性大
日本のような登山道あるわけではなく、自然の中を自分の判断で歩く判断が必要。
●GPSは必ず携帯した方が良い
何度も迷うほど、登山道が分かりにくくGPSは必ず携帯した方が良い
iPhoneのオフライン地図アプリでもOK
●乾燥が凄く喉がやたら乾く
日本はどの山に行っても湿度が高く喉はあまり乾きませんが、
アメリカ西海岸は乾燥が凄く日本の数倍の水が必要になる
●寒暖の差が激しすぎる
昼間は強烈な太陽の日差しで30度近くまで上がるが、
9月でも2〜3度まで最低気温が下がり温度調整と日差し対策は必須
●クマ対策
とにかくクマ対策が重要です。
食べ物や飲み物はもちろん化粧品や歯磨き粉などすべての匂いがするものは、
フードストレージと呼ばれるクマ対策の倉庫に入れておかないと、
車は壊されテントまで襲撃をされます。
車がクマから破壊されるとアメリカ政府から罰金5000ドルを請求されるという、
泣きっ面にクマ状態(笑)になるので、さらに注意が必要。
●バックカントリーに入る人数を制限
日帰りの場合は許可が要らないが、
バックカントリーでキャンプを行ったり釣りを行う際は、
パーミットと言われる許可を取る必要があり、
人数制限を行うことで自然を保護している
●登り方は多種多様
手ぶらで登っている人や上半身裸の人(笑)、
340kmを歩いている重装備のスルーハイカーなど多種多様のスタイルで楽しめる。
●キャンプする際は何もないと思った方が良い
国立公園公園内のキャンプ場には、最低限のトイレしかないのは当たり前で、
バックカントリーでは何もないため、すべてを自己責任で自分で準備するしかないサバイバル状態。
●高度差が実は凄い
トレイルは山頂を目指すことなく日本でいう縦走の感覚で登山を行うイメージだが、
実はジョンミューアトレイルの最高峰は、Mt.ホイットニー(4,418m)。
米国本土最高峰という山も登るため、高低差が激しい。
●大人が大自然を満喫できるアウトドア天国
日本のなんちゃって売店の雰囲気や子供っぽい雰囲気、残念な登山道のイメージは全くなく、
「大人が大自然を舞台に人生を楽しめる」アウトドア天国という印象です。
さすが、アウトドア天国であり先進国のアメリカです。
という形で日本でもかなりの調査を行ってジョンミューアトレイルに行きましたが、
現地に行かないとわからない情報ばかりでした。
ジョンミューアトレイルの写真の一部をご覧ください。
実際に現地に行ってみると、写真では全く収まらない圧倒的な迫力と魅力があります。







絶壁の岩をロッククライミングしている人も数多くいました。


私の夢に「ジョンミューアトレイル340kmをスルーハイクする」という項目を追加いたしました(笑)
人生一度限りです。
仕事も遊びも真剣に世界中で堪能したいものです。
2015年09月30日
世界のトレイルの聖地ジョンミューアトレイルへ
シリコンバレーへの仕事の傍ら、今回は時間を捻出して、世界のトレイルの聖地と呼ばれている、
ジョンミューアトレイルへと行って来ました。

まず、びっくりさせられるのが、アメリカの大自然の雄大さです。
日本とはスケールが全く違います。
ジョンミューアトレイルは、340キロメートルですが、その大部分が含まれている
パシフィック・クレスト・トレイ(Pacific Crest Trail)は、
なんと、メキシコ国境からカナダ国境まで、アメリカ西海岸を南北に縦断し、
総延長は約4,000キロメートル以上(!)に達するのです。
アメリカには3つの大きなトレイルがあり、
残り2つも、
アパラチアン・トレイル(Appalachian Trail)は、約3,500km。
コンチネンタル・ディバイド・トレイル(Continental Divide Trail)は、4100km。
と想像を絶する壮大な規模です。
アメリカでは、全区間を1シーズン内に歩き切ることをスルーハイキング(thru-hiking)する人々が年間に300名もいるというから更に驚きです。
この旅には4ヶ月から6ヶ月を要し、成功を収めるのは6割ほどいるというから、
まさにアメリカ人は「遊びを死ぬ気でやる開拓者スピリット」に溢れた人が多いということが分かります。
本当にアメリカに行く度に良い意味で「クレイジー」な人が多く(笑)、行く度に驚かされます。
私も彼らに負けずに、世界中を冒険しようと決意を新たにさせられました。
今回は、キャンピングカーを借りて10日間、
シリコンバレー&ヨセミテ&ジョンミューアトレイルを移動しましたが、
シリコンバレーからヨセミテまで片道400km離れており、
10日間のトータルの走行距離は1800km(!)という走行距離をあっという間に走ってしましました。
今回移動した1800kmの移動した範囲は地図の西海岸の赤い線の範囲です。
スケールが違いすぎるぜ。アメリカ。
ジョン・ミューア(John Muir、1838年 - 1914年)は、世界のナチュラリストの草分けで、
作家で植物学者、地質学にも精通し、シエラネバダ山脈の地形が氷河作用に深く関わっている事を発見。
また西部開拓の嵐が吹き荒れていた頃、ゴールドラッシュで人口が急増した西海岸の人々が、豊かな森に豊富な水をたたえたこの地に目を付け開発しようと、森林伐採・ダム建設を計画する中、真っ向から異議を唱えシエラネバダの大自然を命懸けで守り続けた人物であり、『自然保護の父』と言われています。
ジョンミューアの愛したヨセミテは、1864年、州立公園に指定。1890年、国立公園に指定されています。
日本ではその頃は、江戸時代でちょうど幕末の混乱期、新選組の池田屋事件が起こった頃です。
その時期にすでに自然保護をしていたジョンミューアも素晴らしいですが、
ルーズベルト大統領と二人だけで3日間自然を語り合い、世界で初めて国立公園を設立したというから、
世界でも先進的な活動をしていたことに驚きます。


ヨセミテ渓谷から端を発する「ジョン・ミューア・トレイル」は彼の業績を記念し造り上げた登山道です。
そんな世界の自然を変えたジョンミューアに敬意を払いながら、
ジョンミューアトレイルを歩き始めました。
(続)

ジョンミューアトレイルへと行って来ました。

まず、びっくりさせられるのが、アメリカの大自然の雄大さです。
日本とはスケールが全く違います。
ジョンミューアトレイルは、340キロメートルですが、その大部分が含まれている
パシフィック・クレスト・トレイ(Pacific Crest Trail)は、
なんと、メキシコ国境からカナダ国境まで、アメリカ西海岸を南北に縦断し、
総延長は約4,000キロメートル以上(!)に達するのです。
アメリカには3つの大きなトレイルがあり、
残り2つも、
アパラチアン・トレイル(Appalachian Trail)は、約3,500km。
コンチネンタル・ディバイド・トレイル(Continental Divide Trail)は、4100km。
と想像を絶する壮大な規模です。
アメリカでは、全区間を1シーズン内に歩き切ることをスルーハイキング(thru-hiking)する人々が年間に300名もいるというから更に驚きです。
この旅には4ヶ月から6ヶ月を要し、成功を収めるのは6割ほどいるというから、
まさにアメリカ人は「遊びを死ぬ気でやる開拓者スピリット」に溢れた人が多いということが分かります。
本当にアメリカに行く度に良い意味で「クレイジー」な人が多く(笑)、行く度に驚かされます。
私も彼らに負けずに、世界中を冒険しようと決意を新たにさせられました。
今回は、キャンピングカーを借りて10日間、
シリコンバレー&ヨセミテ&ジョンミューアトレイルを移動しましたが、
シリコンバレーからヨセミテまで片道400km離れており、
10日間のトータルの走行距離は1800km(!)という走行距離をあっという間に走ってしましました。
今回移動した1800kmの移動した範囲は地図の西海岸の赤い線の範囲です。
スケールが違いすぎるぜ。アメリカ。
ジョン・ミューア(John Muir、1838年 - 1914年)は、世界のナチュラリストの草分けで、
作家で植物学者、地質学にも精通し、シエラネバダ山脈の地形が氷河作用に深く関わっている事を発見。
また西部開拓の嵐が吹き荒れていた頃、ゴールドラッシュで人口が急増した西海岸の人々が、豊かな森に豊富な水をたたえたこの地に目を付け開発しようと、森林伐採・ダム建設を計画する中、真っ向から異議を唱えシエラネバダの大自然を命懸けで守り続けた人物であり、『自然保護の父』と言われています。
ジョンミューアの愛したヨセミテは、1864年、州立公園に指定。1890年、国立公園に指定されています。
日本ではその頃は、江戸時代でちょうど幕末の混乱期、新選組の池田屋事件が起こった頃です。
その時期にすでに自然保護をしていたジョンミューアも素晴らしいですが、
ルーズベルト大統領と二人だけで3日間自然を語り合い、世界で初めて国立公園を設立したというから、
世界でも先進的な活動をしていたことに驚きます。


ヨセミテ渓谷から端を発する「ジョン・ミューア・トレイル」は彼の業績を記念し造り上げた登山道です。
そんな世界の自然を変えたジョンミューアに敬意を払いながら、
ジョンミューアトレイルを歩き始めました。
(続)
