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2018年08月08日

世界最大の日系人が住むブラジルに学ぶ日本人の海外での努力とブランド力

本日よりアルゼンチン・ブラジルに11日間滞在致します。

ニューヨークからフライト11時間でアルゼンチン ブエノスアイレスに飛び、
その後、ブラジルのサンパウロへフライト、
サンパウロからバスでリオデジャネイロへ向かいます。

ブエノスアイレスは最高気温13度、最低気温6度と、避暑地にはもってこいの寒さで楽しみです(笑)


今回は現地での「コンサルティング・市場調査・ブランディング&マーケティング調査・パートナーづくり・日本人経営者の世界ネットワークづくり」が目的です。

それとライフワークである「日系人」も研究し今後の日本人が世界を舞台に活躍する基盤づくりを行って参ります。


ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、
1908年(明治41年)以降の約100年間で13万人の日本人がブラジルに移住し、現在、約160万人の日系人が住んでいます。

今年は日本人移民110周年の年にあたり、
ブラジルでは「勤勉で真面目な日系人」が活躍する場面が非常に増えており、
日本人としても誇るべき所です。

しかし、その日系人の歴史は涙無くして語れない所があるのが、
現実です。

ブラジルはアフリカ大陸から送り込まれる奴隷をコーヒー園などにおける農業労働者として重用していたものの、奴隷制度に対する内外の批判を受けたことから、1888年に奴隷制度廃止を行った。

その後農業労働者が不足することとなったため、イタリアやスペイン、ドイツなどのヨーロッパ諸国からの移民を受け入れ始めた。

しかし農場労働者としてブラジルに渡ったイタリア人移民が、奴隷と変わらぬ住環境や労働の過酷さ、賃金の悪さなどの待遇の悪さのために反乱をおこし、その後移民を中止したために再び農業労働者が不足することとなった。

これを受けてブラジル政府は、1892年に日本人移民の受け入れを表明したものの、日本とブラジルとの間に正式な外交関係がないため日本からの移民を送り出すことができなかった。

その後1894年に「殖民協会」の根本正がブラジルへ赴き、ブラジルが日本人移民にとって適切な移民先であるとする報告を行い、翌1895年には日本とブラジルの間で「日伯修好通商航海条約」が結ばれ、1897年にはリオ・デ・ジャネイロ州ペトロポリスに日本の公使館が設けられた。

その後1904年に起きた日露戦争において、日本はロシアに対して勝利をおさめたものの、ロシアから賠償金を得られなかったこともあり経済は混乱し、農村の貧しさが深刻になっていた。

さらにその後アメリカ政府が日本人移民の受け入れ数の制限を強化したことや、アメリカに代わる移民受け入れ先として有望視されていたオーストラリアやカナダ政府も日本人移民の受け入れを制限したことから、日本政府は新たな移民の受け入れ先を模索することとなった。

サンパウロ州政府は渡航費の補助を行うことにしたものの、移民の定住とより多くの労働力の確保を求めて「家族単位での移民」を条件としてつけることとなった。

募集期間が半年弱と短かったうえに、「家族単位での移民」という条件のために移民希望者を集めるのに苦心したものの、最終的に781人が第1回の移民として皇国殖民会社と契約を行った。

なお、このうちの3分の1を超える325人が沖縄県出身者で、その後も多くの沖縄県民がブラジルへと移民した。家族単位での移民であったため独身者は認められなかった。

そのため、見ず知らずの男女が形式上の夫婦となり家族が構成されるケースが多発し、「構成家族」とよばれた。

その多くはブラジルで実際に結婚している。

1908年4月28日に、781人の移民は東洋汽船の「笠戸丸」で神戸港を出港し、シンガポールや南アフリカを経由して、

「実に日本を出発して50日後」の6月18日にサンパウロ州のサントス港に到着した。

下記の写真は1973年3月の最後の移民船「にっぽん丸」まで53,555人にのぼる人がブラジルへ移民する時の写真で、神戸港を出港する移民船上でとられた写真です。

実に65年間も移民政策が続いていた訳です。

世界最大の日系人が住むブラジルに学ぶ日本人の海外での努力とブランド力





「皇国殖民会社」が移民希望者を募る際に、ブラジルでの高待遇や高賃金をうたったために、移民の殆どは数年間の間コーヒー園などで契約労働者として働き、金を貯めて帰国するつもりであった。しかし、先に移民して来たイタリア人同様、日本人国移民も奴隷解放令に伴う労働力不足を補うために導入されたもので、法律上の地位こそ自由市民であったものの、一部のコーヒー園を除くとその実生活は奴隷と大差ないものであった。

実際に居住環境は悪く労働は過酷で、賃金の悪さなどの待遇が悪かったために、帰国のための貯金どころではなく借金が増える一方であった。

当時の農園主はこのようにして、小作人を土地に縛り付けた。

このため、日系移民の間で移民計画を「棄民」(日本国に棄てられた民)と揶揄する声がでた。

つまり、多くの日本人は「騙されてブラジルに渡り、帰国も出来なくなった」状況に追い込まれたのです。

この様な待遇の悪さや賃金の悪さから、皇国殖民会社に対して帰国を申し出る者が出た他、ストライキや夜逃げも多く発生し、リオ・デ・ジャネイロ州などの近隣州やアルゼンチンへと渡る者もあらわれ、1909年に外務省の野田良治通訳官が調査した結果、笠戸丸で移民し、当初契約したコーヒー園に定着したのは全渡航者の4分の1のみであったと報告されている。

日本人移民のストライキは少なかったが、夜逃げは多かった。


コーヒー農園から逃亡した多くの日本人移民は、結果的に自らの農地を取得し自作農となることを選択し、日本人移民同士で資金を出し合い共同で農地を取得し、「植民地」と呼ばれる集団入植地や農業組合を形成するようになった。

その後多くの日本人移民が自作農として独立、成功し、コーヒー価格の暴落を受けて綿や胡椒、茶やジャガイモなどへの転換を進める者や、サンパウロを中心に日本人移民向けの各種商店や工場、医師を開業する者が現れた。胡椒農家の成功は特筆に価する。サンパウロ州で始まったが、後にアマゾン川に近い北部のパラー州で大成功を収めた。

ジャガイモやレタス、トマトやにんにくなどの、現在ブラジルで栽培されている野菜や果物などの農産物の多くは、農作物の転換を進めた日本人移民がブラジルへ持ち込み、品種改良などを通じてブラジルの赤土での栽培に成功したものである。

もともと果物しか食べなかったブラジルで、
現在ブラジルで野菜が食べれらるのは、日本人のおかげと言っても過言ではないのです。

日本人移民の増加と定住化が進んだものの、増え続ける日本人移民に対する人種差別感情や、その成功に対する妬み、さらに1930年代に入り満州事変や日中戦争など日本の対外侵攻が相次いだことを受けて、日本人移民に対する排斥の動きがにわかに高まった。

さらに、1930年に大統領に就任したジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが、移民のブラジルへの同化政策を進め、ブラジルの公立学校での外国語の授業を禁止する法令を下し、これを受けて1938年12月には日本人学校の廃止が行われた。

さらに軍や警察のレベルではそれが拡大解釈され、公道の路上で出身国の言葉を話した日本人、イタリア人、ドイツ人が逮捕される事件が頻発した。また、外国語の短波放送を聞いた移民が逮捕され、あるいはラジオを没収される事件が多発した。


第二次世界大戦の際に、日本人移民および日系人ブラジル人は内陸部に設けられた強制収容所に一時的に収容された。

このため、サントスに住む多くの日系人が職業を奪われた上に資産の凍結も行われ、自宅などの不動産を二束三文で手放すことを余儀なくされた。

彼らはサンパウロ州内陸部の未開拓地に強制的に移住された。

内陸部への強制移住は大戦が終結した間もなく後に解除されたものの、資産の没収、凍結の解除は、日本とブラジル間の国交が回復した後の1950年代まで続けて行なわれ、その際に解除を忘れられたままとなった没収資産の一部は、2000年代に至るまで返還されなかった。


このように「世界中に”国策で海外移住”させられた多くの日本人は非常に過酷な体験をしながら、その国で生き延び、しかも現地の人々に貢献しながら認められ、現在の日本人の信頼というブランド力」を構築してこられています。

私も世界60カ国以上に訪問していますが、
「日本人というだけで信頼され歓迎される理由」は、先人の努力の賜物であり、その生き様があったからこそと感謝の気持ちでいっぱいです。

更に、世界に誇るべき日本人として世界にどんな貢献が出来るかを、オールジャパンのチームでチャレンジして参ります。


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